日本とベトナムが外交関係を樹立して、今年でちょうど50年。それを記念して、大同生命では在日ベトナム人や本国に住むベトナム人、そのほかベトナム語を母国語とする人を対象に、小学館学習まんが人物館「広岡浅子」ベトナム語版を読んだ感想文を募集。厳正なる審査の結果、11月10日には都内某所において読書感想文コンクール授賞式が開催され、12人の受賞者が表彰された。
今回の感想文コンクールを主催した大道生命保険株式会社の代表取締役社長 北原睦朗氏。
「今年、創業から121年目を迎えた大同生命だが、その創業者のひとりが今回の読書感想文のテーマにもなった広岡浅子だった。日本在住のベトナム人が46万人を超えた今、日本の歴史や文化に少しでも関心を持ってほしいという思いから今回のコンクールを開催した」と語った。
最優秀賞
「初めて広岡浅子の物語を読んだ時に一番感動したのは、虚構ではなく実話だということ。浅子は女性たちだけではなく、すべての学ぶべき者にとってとても理想的な模範だと思う」と語るダン・ジェウ・ヒエンさん。
最優秀賞を受賞したダン・ジェウ・ヒエンさん(中央)、大道生命保険株式会社の代表取締役社長 北原睦朗氏(左)、審査員を務めた加藤 栄氏(右)。ダン・ジェウ・ヒエンさんには賞状と賞金5万円、記念品が贈られた。
優秀賞
優秀賞を受賞した5名には、賞状と賞金1万円、記念品が贈られた。
グエン・ゴック・サンさん
グエン・ティ・トゥ・チャンさん
グエン・ド・アン・ニェンさん
ファン・クイン・ウインさん(ビデオメッセージ)
ブイ・カイン・リンさん
入選
入選した4名には、賞状と記念品が贈られた。
トリン・ティ・ミン・トゥーさん
ホアン・ティ・クイン・アインさん
ラオ・ティエン・キムさん(欠席)
ブイ・ヴァン・ジャンさん(欠席)
特別賞
特別賞を受賞した2名には、賞状と記念品が贈られた。
ホアン・マイ・チャンさん
ヴォー・ティ・ミー・リンさん
今回の受賞者のプロフィールやコメントを聞きながら、まずは日本語の流暢さとしっかりとした考え方、そして日本人・広岡浅子の人生を分析する能力の高さに驚かされた。ひょっとしたら、現代の日本人よりも浅子の心情をよく理解しているのではないかとさえ思わされた。そのあたりの事情は、授賞式の最後を締め括った審査員・加藤 栄氏の総合コメントにすべての答えがあるように思われる。そこで加藤氏のコメント全文をもって、この記事を締めくくることとしよう。
授賞式の最後に総合コメントを述べる、ベトナム文学翻訳家、元大東文化大学国際関係学部国際文化学科准教授 加藤 栄氏
加藤 栄氏による総合コメント全文
本コンクールは、今年の3月から6月までの4カ月間にわたって募集が行われ、日越両国合わせて655もの応募作がありました。その応募数はほぼ同数で、応募者の居住地に関しても、ある特定の地域だけに偏ることなく、日本では北は秋田から南は沖縄まで20以上もの都府県から、ベトナムではハノイやホーチミンのような大都市だけでなく、北部、中部、南部の各省から作品が寄せられました。このように4か月という短い期間で、数多くの参加を得られたことは、主催者側の当初の予想を大きく上回るものであり、嬉しい、また驚き以外の何者でもありませんでした。これまでに日越両国から出場者を募って行われた同種のイベントは多々ありましたが、ここまで大きな規模で実施されたものは過去に前例がないと思います。
応募者の男女比については、男性が全体の約40パーセントで、女性は約60パーセントと、女性の方が相対的に多数を占めていたものの、第1次審査が始まった段階ではそれほど大きく差が開いているわけではありませんでした。けれども、審査が進むにつれて、女性の応募作が男性のそれを圧倒するようになり、最終審査にノミネートされたのは、優秀賞を獲得されたグエン・ゴック・サンさんを除けばすべて女性の作品でした。
本コンクールの課題図書は広岡浅子という女性を主人公とした物語であり、そこには女性にとって、より身につまされる問題が描かれていることから、女性の方に熱のこもった力作が多くなるというのは当然といえば当然だったかもしれません。実際、彼女たちの感想文には「九転十起という言葉に象徴されるように、どんな困難にあっても決して諦めない浅子の生き方に感動した」、あるいは「女に教育などいらない、結婚して子供を産めば良いといった当時の社会的風潮に抗って、常に努力を忘れず、女性の地位向上と社会的な公益のために奮闘した浅子を、自分の人生を手本にしたい」といった感想が数多く見られました。近年目覚ましい経済発展を遂げるベトナムですが、大都市ならいざ知らず、地方の町や村では昔ながらの風習や考え方が根強く残っています。広岡浅子が直面した困難というのは、ベトナム農村では現在でもアクチュアルな問題であって、本コンクールに参加した女性たちにとっても、決して人事とは思えない自分自身の問題であったのだろうと思います。
さて今年は、日越国交樹立からちょうど50年という節目の年にあたります。私は1971年に東京外国語大学に入学してベトナム語を学び始めま、それ以来ずっとベトナムと関わる仕事に携わってきました。したがって、その50年という歳月は、私自身の歩みともぴったり重なるわけです。これからお話しするのは私の個人的な感想ですが、両国の国交が樹立された1973年当初は、それまではゼロだった国と国との外交関係がようやく確立されたわけですけれども、だからといってすぐに民間人同士の交流も始まったわけではありません。当時は、日本国内でベトナム人と出会うということはほとんどなく、日本人のベトナムへの留学や旅行も数々の制限がありました。ベトナムは、距離的には近くても、心理的にそういう国であることに変わりはありませんでした。
けれど、このような状況も1990年代頃を境として少しずつ変わっていきました。現在では、近所のスーパーに行けばベトナム語の会話が聞こえてきます。会社の同僚やアパートのお隣さんや、学校の子供の同級生にベトナム人がいるというのも珍しい話ではなくなりました。私の学生の頃には想像すらできなかったことが、今では現実になっています。本当に長い道のりでしたが、ようやく日本人とベトナム人との間で、お互いの顔が見える血の通った関係が形作られつつあります。そして今回のコンクールの成功も、そうした日越の親密な関係ができたからこそこのような成功を収められたのだということを最後に申し上げて、私の総合コメントの結びとさせていただきます。